山 崎 斌

Yamazaki AKIRA


作 家 / 草 木 染 作 家



1892年 長野県麻績村の臼井忠兵衛の三男として生まれる。
5歳のとき南条村にある父の実家・山崎家の養子となる。

1910年 旧制上田中学校卒業後上京、文士を志す。

1921年 長編小説「二年間」を刊行、島崎藤村から激賞を得る。
その後も「結婚」「犠牲」「夕陽」など長編・短編小説を次々と発表。
小説家として活動基盤を築く。

1929年 伝統染色の復興や、養蚕農家の不況対策のために、絹糸を天然染料で染め、手機による織物(紬)を復興する運動を始める。化学合成染料による染と区別するため、古式ゆかしい草根木皮による染めを「草木染」と命名。

1930年 東京銀座資生堂で「草木染信濃地織復興展覧会」を開催。展覧会の役員は島崎藤村、富本憲吉、有島生馬、石丸重治、竹久夢二、平塚運一、水谷川忠麿、中村柊花、前川千帆。

1933年 草木染と和紙原料となる植物の写真、説明と共に、草木染の糸、和紙の実物標本が貼りこまれている「日本固有草木染色譜」を発刊。

1938年 日本の衣・食・住の良さ見直すために「月明会」を結成。
生活文化雑誌「月明」も刊行した(1967年12月まで発刊)。

1945年 長野県佐久郡前山村に疎開、東京大空襲のため草木屋を焼失したため、同村に移住。
理想の実現のため「月明狭」と名づけた。

1946年 紙漉場と住居を建設、「月明手工芸指導所」と称した。

1960年 提唱してきた生活文化、日本の衣・食・住に関し、善と美とを再認識し、その経験の累積を試すべく神奈川県川崎市に移転。
句会、歌会、茶会、草木染の講習会などが開かれ、新たに窯も築かれた。

1958年 「草木染百色鑑」。

1959年 「草木染手織抄」発刊。

1961年 「日本草木染譜」発刊。

1972年 6月27日逝去。


■ 「日本固有草木染色譜(初版)」にあたり、斌の師・島崎藤村が寄稿した序文


■ 「日本固有草木染色譜」の増補改訂刊行にあたっての斌の序文


山 崎 青 樹

Yamazaki SEIJU


染 色 工 芸 家 / 日 本 画 家




1923年 東京渋谷に山崎斌の長男として生まれる。

1941年 明星学園中学校(旧制)卒、日本画家野田九浦に師事し、日本画を志す。

1945年 長野県毎年佐久郡前山村に父・斌、母・敏子ともに移住。

1946年 紙漉場を建て、純楮手漉和紙の生産と指導を始め、「月明手工芸指導所」と称した。

1948年 草木染研究所を併設、草木染の研究と手織紬制作を始める。

1949年 東京銀座資生堂画廊で父・斌と共に「草木染月明織展」を開催。
以降毎年都内で「草木染展」を開催。

1956年 群馬県高崎市に草木染研究所を移転。

1971年 共立大学柏木希介教授と共に茜染の調査にインドヘ行く。

1975年 卓越技能者(現代の名工)として労働大臣より表彰を受ける。
同年、山辺知行氏と共に中南米へ染料植物の調査に行く。

1977年 群馬県指定重要無形文化財保持者に指定される。

1978年 群馬県文化功労賞を受ける。

1982年 民族衣装文化普及協会より、きもの文化賞を受ける。

1983年 黄綬褒章を受ける。

1987年 高崎市文化賞を受ける。

1992年 群馬県功労者として表彰される。

1995年 フランスで開催された国際インディゴ・ウオ-ド会議で講演し、草木染の作品も展示。

2005年 旭日双光章を受章。

2010年 1月9日逝去。


著書:「草木染日本の色」「草木染日本の縞」「草木染型染の色」「草木染百二十色」

「草木染・糸染の基本」「草木染・型染の基本」「草木染・木綿の染色」「草木染日本色名事典」

「草木染染料植物図鑑」「続草木染染料植物図鑑」「続々草木染染料植物図鑑」

「草木染色を極めて五十年」「古代染色 二千年の謎とその秘訣」ほか