この書は、過去の植物性染色の口碑と、その文献と、今日の植物学的解明と染色実験を併せた集成で、謂って見れば、現在に貽された「日本草木染」の姿態そのものであります。
昭和当初のことであります、私は当時の農村不況の中に、農民の実生活を豊かにしたく、一助として田園手織物の復活に思ひつき、尚その染色には古来の、植物を利用した手法を回復しようとしたのであります。
ところが、この染色手法は、明治三十年代の所謂染色革命に遭遇して、既に亡失の彼岸にあり、一切化学染剤によるものに交替、その以前の日本の手法に冠すべく名がさへもなかったのであります。
かくて、私(ひそ)かに「草木染」(くさきぞめ)の仮称を与へてこれの復興の従事し、その結果の集成、昭和八年(1933)夏日、この書の前身なる「日本固有草木染色譜」を、先ず刊行したのであります。
顧みれば、これの復活には異常の困苦もありました。明治後期のこれが衰退に伴う口碑の喪失、また文献の散佚、従って染材の収用さへも困難を極め、もし染用資材が、一方皇漢医薬料としての需要されるものでなかったならば(これにも甚だしく衰亡の徴(きざし)もあったのですが)既に志をその当初において放棄しなければならなかったろう程でありました。
爾後三十年を通じ、一意これの保存復興に尽心、時に切りにこの書の再出版をも慫慂(しょうよう)されたのでありますが、当時戦前、戦中、戦後にあたり、絶版に二十八年を経過して、漸く今日に遇ひ、玆に増補改訂を遂げ、この出版を完了したのもあります。
まことに、染色に於ても、当に万草に試みて一草を挙げ知らせ、逆に會ての日の壮大を成した祖先の精神は、この一路に於ても恒に驚異でさへありました。
遠く中亜、盛唐の影響をも受け、飛鳥・奈良朝に爛熟し、累次発達をとげたこの染法による「日本の染色」も、時には衰退にも瀕しましたが、今後に於て、却って海外の嘆美にも照らされるかに在るやうであります。
尚、思い出を言えば師、島崎藤村は、前著の刊行に際し、序文して「わたしたちの祖先が手工芸のいとなみは、君によって今の代に活きかえるいとぐちを得た。」と、「これは土と木と草の香りで一ぱいだ。おそらく後の代の人もこの愛すべき書物から得るところは多かろうと思ふ。」と言ってくれました。
今日、「草木染百色鑑」「草木染手織抄」の二部を既刊し、こゝに本書をも完成、当に三部作を刊行し了ったことには感慨一層のものがあります。深き感謝であり、まことに「生く日の、足る日」のおもひであります。
山 崎 斌