これはウィリヤム・モリスの仕事に近いと思って、以前にわたしは山崎君の思い立つたことを生活と藝術と勞働との一致に結びつけ、その前途に深く望みを寄せたことがあった。


木の皮、草の根、乃至その葉からも、その実からも染むべき材料を採って、織るべく、着るべきことを知つてゐたわたしたちの祖先が手工芸のいとなみは、君によって今の代に活きかえるいとぐちを得た。荒無を切り開くほどの愛と忍耐とがなかったら、君の仕事もこゝまでは進み得なかつたであろう。

今や君の草木染圖説一巻が成る。遠く奥羽の野の末まで、紫の一もとをさぐり求めるほどの君の熱心から、この一巻が生まれた。

わたしは山崎君の平生を知るところから、更に君の仕事の成長を希ひ、進んではかの光悦の腸(はらわた)をさぐり古人が遺したこゝろざしにもかなひたまへと書いて贈る。


昭和八年夏の日、麻布飯倉にて。 島 崎 藤 村